ドクターになったサッカー少年01
文:大沼 寧 山形徳洲会病院 整形外科部長
W杯開催に思いを寄せて
2002年、異国ドイツのあるクリニックでの出来事――。
「グーテンモルゲン(おはよう)!」
挨拶とともに、どこかで見覚えのある男性が子どもさんを連れて診察室に入ってきた。当時、サッカーのドイツ代表監督を務めていたルディ・フェラー氏だ。彼の息子さんが、サッカーの練習中に足首を捻って来院したとのことだった。
その頃私は、ドイツ・レバークーゼンでサッカーチーム「バイエル・レバークーゼン」のチームドクターにお世話になりながら、スポーツ整形を研修中だった。
私の中では医療、サッカー、ドイツがさまざまに結び付いている。私がサッカーを始めたのは、74年のワールドカップ・西ドイツ大会の直後。テレビではドイツのサッカーリーグ「ブンデスリーガ」の試合模様が流れていて、当時はそれに憧れながらボールを追うことに夢中になっていたものだ。振り返ると、この学生時代にサッカー選手として経験したいろいろなケガが、今の仕事に携わるキッカケとなったようだ。
異国の地でのW杯体験
今年、再びワールドカップイヤーが訪れ、6月9日からドイツで開催される。01年8月、ドイツ留学へ旅立った私は、02年の日本・韓国の共同開催によるW杯に、遠くから想いを馳せていた。
ベルリンで同大会を迎えた私は、日本国内の喧騒とは無縁だった。地方都市では盛んなサッカー熱も、大都市ベルリンではそれほどでもない。
対照的に熱狂していたのは、ベルリンに多く住むトルコ移民の人たち。その人口はトルコの主要都市イスタンブールに次ぐほどだ。母国が勝利を挙げた日に、彼らは車のクラクションを鳴らして、喜びを爆発させていた。同僚のトルコ人も試合結果に一喜一憂し、熱くなっていた。
日本、ドイツ、トルコがトーナメントを勝ち進み、私と同僚たちはそれぞれの母国の勝利に酔いしれていた。この大会は、この3カ国の国民にとって一番当たり障りのない結果で幕を閉じた。
私は日本でW杯を味わえなかったが、他民族と一緒の生活の中で、母国が勝ち進んでいく興奮や応援する緊張感など、異国の地ならではの貴重な体験を得た。
ドイツは日本の医療、サッカーの発展に大きく寄与し、今でもその影響は続いている。日本の医療レベルは、学ぶべき点はまだ多いとはいえドイツと肩を並べ、中には上回る分野があるまでに進歩している。
ところがサッカーはどうだろうか? 残念ながら、同等と呼べるレベルでないことは明らかだ。日本代表の高原直泰選手が、ドイツでレギュラーの座が確約されていないほどである。日本サッカーはまさにこれからで、今回のドイツ・ワールドカップは大切なステップの一つとなるだろう。
また日本以上に今大会は、開催国ドイツにとっても重要だ。ブンデスリーガでは、ドイツ選手のレベル低下が指摘され、東欧からの移民選手が増えていることでチームワークの不安などが叫ばれている。大会前の試合内容からも不安材料が多い。開催国であるドイツが、予選リーグで敗退するなど許されないはずだ。
今W杯も魅力は尽きない。ドイツに駆け付けたいところだが、仕事が許してくれそうにもない。今回も遠いサッカー会場に想いを馳せながら、W杯を迎えることとなった。
2006年(平成18年)6月12日 日曜日 No.522 5面より